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青木弘司展「山岸邸」

個展

担当:青木弘司、角川雄太
主催:PRISMIC
会期:2012.10.6ー11.16
展示写真:2011年5月1日岩手県宮古市田老青砂利
写真撮影:山岸剛
翻訳:千々岩秀人


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“かの災厄の発生後、2011年5月に岩手県の沿岸部で目にしたのは、まさに建築が、人工性の切尖である建築が、津波という絶対的な外部性に洗い尽くされた姿だった。わたくしは建築がそのようなものに触れているのを見て、この上ない満足をおぼえた。それは爽やかな光景だった。建築はかつてないほど健康に見えた。アッパレと感じた”

写真家・山岸剛氏は、東日本大震災直後に撮影してまわった岩手県沿岸部の風景に触れ、以上のように書き記している。1)私は、この言葉に大変な刺激を受け、興奮を覚えた。

山岸氏が2011年5月1日に撮影した岩手県宮古市田老の写真には、津波という、とてつもなく大きな外力に対峙する、建築の、ある究極の姿が描き出されている。建築と自然の抜き差しならない力関係の中で、あらゆるモノが、価値の優劣なく張り詰めたように併置された、瑞々しくも神聖な風景が現出している。

ところで、建築の設計は、さまざまな要素間の関係性を然るべき序列の下に再編していく作業の連続であり、それは、その場所にありうべきモノとモノとの力関係を、ひとつひとつ見出していくことである。この岩手県宮古市田老の写真には、モノとモノの無数の関係性の網目が張り巡らされていて、あらゆるモノの居場所が、これ以外にないという仕方で定められているように感じられた。すべてのモノが、この上なく美しく、ある理想的な状態で空間を占有しているのだ。

そしてこの建築は、津波という圧倒的な力にことごとく洗われて、無惨なフレームの剥き出し状態に貶められながらも、建築としての、ある力強い姿を取り戻しているように見える。外部性にふれた後に、かろうじて残された部分、すなわち建築は、それが捕獲したすべてのモノとともに、それらと同じ強度で自律して、ここに建っている。つまり、建築が、建築こそ がこの風景を出来させているのだ。私は、このような境地に達した建築を設計したいと思う。
今回展示した「山岸邸」では、固定化された空間の主体=主人公が不在である。ここでは、住み手として想定される山岸氏の身体も、通行人の視線も、屋根や壁といった建築的部位も、そして、圧倒的な大きさをもって眼前に迫る交通インフラも、 つまり人間も人間以外のモノもすべて等しく主人公であるがゆえに、ひるがえって彼らはすべて脇役として偏在して、この 空間を占有する。相対的かつ可変的な形式の下に並列された空間の主体=脇役の、絶え間ない通過と滞留によって場所が占められていく。

「山岸邸」は、山岸氏が撮影した写真と氏から発せられた言葉に見出した、私が理想とする、ひとつの建築の姿である。

1) 山岸剛:10+1 web site 特集:2011-2012 年の都市・建築・言葉 アンケート,LIXIL 出版,2012.2

展示計画について
岩手県宮古市田老を撮影した写真作品を山岸氏に展示していただき、これに「山岸邸」を対峙させた。「山岸邸」は、単なる建築の縮尺表現に留まらない自律したオブジェクトとしてとらえられている。すべての部材の表面は、石膏を混ぜ合わせたジェッソを何層にも塗り重ねて磨き上げた。空間のありようを際立たせるべく抽象化させつつも、ある質感を持った即物的な白い物質として建ち上げることで、実体としての空間の性質と建築家が構想する概念を同時に読み取って欲しい。 会場には13mmのスチール製角パイプで構成された立体を積み重ねた。この立体の底面にはガラスが敷き込まれ、青山霊園の緑が幾重にも映し捕られる。この立体の群れは、周囲の風景を抽象化して捕獲しながら、山岸氏の写真作品と「山岸邸」が対峙する舞台にまで、観る者を導くだろう。