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伊達の家

戸建て住宅

担当:青木弘司、川松寛之
所在地:北海道伊達市
構造・規模:木造+鉄骨造2階建て
敷地面積:292.00㎡
建築面積:73.70㎡
延床面積:126.69㎡
設計期間:2015.8ー2016.8
施工期間:2016.12ー2017.5
構造設計:RGB STRUCTURE
環境解析:中川純
施工:平口建設
写真撮影:永井杏奈


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人間の主体性を取り戻す建築
人間の主体性が奪われてしまっている。さまざまなモノは複合され、どこからきたのか、また、どのようにしてつくられたのかもわからないような、組成不明のプロダクトとなり、われわれの生活を取り巻いている。もはやプロダクトを通して社会の構造を知ることは難しく、社会の仕組みを理解しようという主体性が奪われてしまっているように思われる。あらゆる情報に対して受動的にならざるを得ない社会は閉塞感に満ちている。そのような社会から人間の主体性を取り戻すために、建築に何が可能なのか。 建築の実践を通して人間の主体性を取り戻したい。そして、そのような建築を設計するための方法論として、建築のフラグメンテーション(断片化)を考えたい。建築をバラバラなモノに還元するように断片化させ、広域の環境との物理的な関係の中に、あるいは、過去から未来に持続していく時間の中に、ひとつひとつ再配置するように設計する。このときに空間の主体たる人間は、モノとモノの連関を日々再発見し、断続的に立ち現れるシーンとして受容しながら、身の回りの世界の成り立ちを理解していく。自分の手で直接つくり出したモノも、ありふれた身近なモノも等価に扱い、それらをブリコラージュ的に再編することによって、錬金術のように日常を持続的に更新するのだ。 北海道伊達市は、札幌と函館の中間に位置し、冬季の積雪は少ないながらも寒冷地に特有の気候条件に曝されているが、敷地の北西には有珠山や昭和新山、南は遠く内浦湾を望む豊かな自然に恵まれた環境である。建主の要望から具体的に案を検討していくうちに、100坪ほどの敷地は夫婦と小さな子供の住まいとしては少し大きく感じられた。例えば、大きな庭を生活の中心に据えれば、年間を通して外部を維持しなければならず、冬は比較的温暖でも、ある程度は雪に閉ざされてしまうような場所ではリアリティが感じられない。そこで、この敷地に見合った大きな建物を建て、その内部に必要な機能を備えた小さな建物を建てるという、ふたつの建物が入れ子になった案を検討した。前者は鉄骨造の躯体にシングルの折板屋根を掛け、妻面には単板ガラスのカーテンウォールを設け、平側の面にはガルバリウム鋼板の角波板で覆うことで、倉庫のような佇まいになった。後者は凍結深度の分だけ地面を掘り下げつつ2層分の木造の軸組を立ち上げ、その外側には構造用合板を張って、ボード状の断熱材をボタンで留め付けた。開口部には複層ガラスのアルミサッシを取り付けることで、簡素な小屋のようになった。これらは、それぞれ防水層と断熱層を担い、ひとつの住宅に求められる性能を、ふたつの建物が補完し合うことで担保しているという意味では、ふたつの建物が入れ子状に配されているというよりも、ひとつの建物の外壁や屋根を引き剥がすように解体した結果として、エレメントを構成するモノが自立して現れているといえる。

床や壁、屋根、天井といった建築のエレメントを高い解像度で見てみると、例えば木造の外壁は、柱や断熱材、防水紙、胴縁、石膏ボード、外装材というように、いくつかのモノが組み合わされて成り立っている。通常は高度に複合化され、壁や天井の向こう側に隠蔽されてしまうモノが見えている状態であり、壁や天井の懐が、もうひとつの空間として可視化されている。この懐の空間は大きな空気層になっていて、外断熱が施された居住域を外部の環境から守りつつ、質としては内部でも外部でもない、どちらにも属さない第三の空間である。そして、通常は隠蔽されてしまう懐に空間が見出されることで、その空間に面している部分は、仕上げなのか下地なのかを区別することはできず、両者の序列関係は失われ、空間を占有するモノとモノとの隣接関係だけが浮かび上がる。この時に、住まい手の家具や膨大な漫画本などの蒐集品、生活の中の雑多なモノとの偶発的な関係が等価に立ち現れるのだ。 第三の空間としての空気層は、熱環境としては外部に近く、中間期には拡張されたリビングとして過ごすことができる。そして、冬場の日中は光を溜め込むことで、空気層自体が暖められ、木造部分のサッシを開放することで、必要に応じて暖気を取り込むこともできる。外部も含めた熱環境のレイヤーの中で、質の異なる場を自由に選択するように生活する。そのような、質の異なる空間のレイヤーを貫通するように視線が抜けていき、動線が横断していく。庭側から道路側を見通すと、手前に外部階段があり、透過性の高い単板ガラスのカーテンウォールには、外部階段の虚像が映り込みつつ、懐の空間を介して断熱材で覆われた小屋に取り付けれた木製階段が折り重なるように見える。さらには、複層ガラスの掃き出し窓から小屋の内部を覗き込むと、その向こう側には腰高に持ち上げられた同様の掃き出し窓と懐を挟んでスチールのカーテンウォールが見えて、街路樹と空を望む。大きな懐の空間は土間のように使われ、カーテンウォールに付設したドアを開けて庭に出たり、木造の小屋から渡り廊下を通って外部階段から屋根の上のテラスに上がり、遠くの海や山並みを見渡す。また、夜間に道路側から見ると、カーテンウォールの下方には目隠し用のスレート板が建て込まれているが、その上部は全て開放され、大きな懐が行灯のように灯り、ほの暗い街並みを明るく照らす。 この家では、その時々に応じて住まい手が快適な場を発見していく。あらゆるモノを寄せ集めて編み込むように、その場の質を成り立たせているモノとモノの関係性を理解し、主体的に再編しながら生活する。建築のエレメントを解体し、モノに還元するように断片化させ、広域の環境との応答関係の中で再構築することで、住まい手の主体性を掘り起こすような空間を導き出そうとしたのだ。建築の実践を通して回復した人間の主体性は、先の見えにくい社会を生き抜くための知恵である。そして、知恵を携えた人間のふるまいによって、世界を自分たちの手に取り戻し、生き生きとした建築や都市を実現させていくだろう。